料理が食卓に並ぶまでの話

毎日料理をするって本当に大変だよね。

冷蔵庫の余り物確認して、仕事中に悶々と献立考えて、買い物行って、重い荷物抱えて帰宅して、休む暇もなくキッチン立って、あ〜作りたくないな〜って思いながらお酒煽って己を奮い立たせてから挑むのが毎日の私のルーティン。

キッチンで料理をすること自体は嫌いじゃないし、ご飯を食べることも大好き。それでもその工程に至るまでの負荷がなんとも言えないストレスで、たちまち日々の体力を奪い去っていく。

若かりし頃の自分は「作る」と「食べる」しか存在しないと信じきっていた。当たり前のように決まった時間に温かいご飯が用意されて、ウマイウマイ食べて、たまに食器洗いすれば母親がすごく喜んでくれる。それが全てだと思っていた。本当にお気楽極楽の人生で羨ましい。

それが今やYouTubeを垂れ流しながらキッチンドリンカーをする三十路女の爆誕である。帰宅して冷やしておいた発泡酒を冷凍庫に移して、風呂入ってキッチンに立って発泡酒のプルタブを開けた瞬間、私のやる気スイッチがオンになる。君のやる気スイッチどこにある?と聞かれたら、私は間違いなく「プルタブ」と即答するだろう。

そして発泡酒を煽った瞬間に全ての疲れが一瞬にして浄化される。あの開放感はなんなんだろうね。「ぎゃぴ〜〜〜〜〜!!」って自然に声出ちゃうけどそれだけ毎日毎日頑張ってるってことだよね。そりゃ頑張ってるよ。誰と比べてとかじゃなくて、私は私なりにめちゃくちゃ頑張ってるもの。着実に親としての経験値積んでて偉いなって自分自身でベタ褒めだもの。休みの前日は発泡酒からビールにしちゃうぐらい自分を甘やかしてるよ。

そうでもしないと誰かのために何かをするって出来ないと思うの。家族と言えど、誰かのために無償で何かをするってすごくハードルの高いことで、感謝や労りが対価としてあった初めて成り立つんじゃないのかなって。子供達が「美味しい」って言ってくれるだけで嬉しくて何日も同じ料理作っちゃうし、旦那が「うまいね」って言ってくれれば作って良かったなんてご機嫌になれるし、そういう家族同士のやりとりの積み重ねこそが、明日も全員で食卓を囲む秘訣だと思う。

温かいご飯とキンキンの酒、その日あった出来事や仕事の愚痴を肴に家族と笑いながら食卓を囲む。この幸せを感じるために私は日々キッチンに立って料理を作るのだろう。

 

 

怒鳴るということ

民度の低い話だが、私は画用紙に「怒鳴らない」とでっかく書いた紙をリビングに貼り付けている。怒鳴ってばかりの自分を顧みて改めようと思ったからである。

自分の性格を分析してみると、熱しやすくも冷めやすく好き嫌いがハッキリしているタイプ、結婚するまでは仕事以外で人に怒ったことなんてほとんどなかったし怒るようなこと出来事もなかった。

それが結婚してからはどうだろう。いや、子供が産まれる前まではお互い仕事で生活サイクルも合わず、ほとんど顔を合わせることもなかったので喧嘩にすらならなかった。

1人目が産まれてからも、最初の2ヶ月こそ闇モード全開だったが「私って適当野郎だったじゃん…?」と突然自我が目を覚ましてからは家事育児も適当にコネコネして、育休って毎日ゴロリンチョ出来て最高じゃね???とU-NEXTをこれでもかってぐらい楽しみ、近所の美味しいお店を調べては行ってみたりと娘を連れまわし自由気ままな生活を送っていた。

さあ、ここからが問題の2人目だ。妊娠しながらの1人目育児は育休中だったこともあり、大した悩みもなく平々凡々と暮らし出産に漕ぎ着けた。2人目は放っておいてもよく寝るしご機嫌なことも多いし、懸念していた1人目の赤ちゃん返りもなくまあまあ順調だったのではないだろうか。

しかし、2人目が二足歩行するようになってから事態は一変した。二足歩行したその日から私の口癖は「ちょっと待って」になったかも知れない。キムタクばりに「ちょ?!ちょ!!ちょ〜〜〜〜!!!」と「ちょ」だけで感情表現をするようになってしまった。子供達は日々成長しているというのに、親は退化していくばかりである。

子供達の一挙一動が怪我や病気に喧嘩などに繋がるのを見越して事前に防ぎたい親と、なんでも試してガッテンの子供達の相性の悪さといったらない。親と子供達の攻防戦を繰り広げる一方で家の中は散らかり荒れ果てる。永遠に終わらない家事、体力爆発ぶつかり稽古ばかりする子供達、疲労困憊死にかけの親。

もうね、イライラしないなんてあり得ない。一度怒鳴ってしまうと歯止めも効かなくなり声は大きくなる一方で、子供達は大人しくなるけど効果も一瞬。そんな負のサイクルをずーっとグルグルしてた。もう怒鳴りたくもないし、なによりイライラしながら生活している自分に心底嫌気がさして、ある日1日だけ「今日は怒鳴らない」と決めて過ごしてみた。

するとどうだろう、たった1日、されど1日、子供達の変化は明白で、これを数日続けることで子供達も比較的丸くなってきたような気がする。怒られたから泣きながらやるのではなく、褒められたり喜ばれたいからやるといったほうがしっかりくるような行動をするようになった。

他の家庭では当たり前のことでしょ?と言われたらそれまでだが、私にとっては新たな気付きだった。自分を失っていた自分が、自分自身で気付き、実践し、行動まで動かせた。

子供達には悲しい思い、辛い思いをたくさんさせてしまっただろうか。一方的に怒ればいいと思い込んで当たり散らしていた自分の反省すべきところである。

後悔しても傷付いた子供達の心は戻らない。同じ過ちを繰り返さないために、我が家のリビングには今日もまた「怒鳴らない」と掲げているのである。

 

米ってウマイよな

新婚当時に購入した炊飯器が寿命を迎え、新しい炊飯器を迎え入れた。我が家にとって炊飯器とは高価な買い物であり、それはもう「アレがいい!コレがいい!イヤでも!だって!」と何回言い争いしたかわからない。

そんなこんなで手に入れた炊飯器は今現在でも我が家の一角で、どの家電よりも良い働きをしてくれている。前任の炊飯器より格段に米がうまい。米の銘柄なぞ変わってないのに米がうまいってこんな幸せなことがあるのか。ウマイウマイ、いつなん時何合炊いても米がウマイ。

普段から夕飯時に晩酌をする家庭なので、私達夫婦はほとんど米を食べず、子供達のために米を炊いていた。そこまで米に対して執着もなかったが、炊飯器を買い換えたその日から子供達の米の消費量が格段に上がった。そしてそれにつられ、大人の米の消費量もグンと上がった。

晩酌の後の握り飯のウマさ知ってる?我が家の〆握り飯の変遷は今のところは

ツナマヨおにぎり

・辛い昆布おにぎり

・焼きおにぎり柚子胡椒味噌

・一味モリモリ悪魔のおにぎり

と、こんな感じ。お察しのとおりとてもとても太りましたね。それでも晩酌後のパリパリのお海苔を巻いて食べる握り飯の旨さを知ってしまったらもう戻れない。朝昼晩おにぎりに囚われててそろそろお腹周りが爆発しそう。

みんなの酒に合うおにぎりレシピよかったら教えてね。

 

 

寿司VSホットドッグ

旦那方の親戚が寿司屋で会食したらしい。我が家からは旦那と子供が参加し、私はおうちで大人しくお留守番してた。せっかくの華金を気乗りしない人付き合いで潰すのが断固として許せないので、嫌味も愚痴もキンキンに冷やしたビールで腹の奥底に流し込む。知らない人に囲まれ気遣い愛想笑いしながら食べる高い寿司よりも、家で好きなことして爆笑しながら食べる安いホットドッグのほうが何倍も美味くて、なんと言われようとも私はこの生き方が性に合ってる。

親戚付き合いも嫁の務め?家族として当然?家族の輪に入らない私がおかしい?どう思われようとも私が嫌と感じるものは嫌。大人だから嫁だから母親だからとかそんなことで丸め込もうとしないで欲しい。私という一個人が嫌と言っているんだからそれ以上それ以外でもない。

そもそも毎年誕生日や結婚記念日をスルーし、私と時間の共有をはかろうともしないで親戚付き合いして欲しいだなんて可笑しいと思わないのだろうか。思わないんだろうな。

そんなことを書き留めている間に旦那と子供が帰宅し、手土産にコレを買ってきてくれた。

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私は穴子が大好きだ。とてもとても美味しいチョベリグなチョイスだったので旦那の全てが許された瞬間であった。

結果、私の華金はホットドッグで心が満たされ、寿司で身体も満たされ、ただただデブへの道を全力疾走フルスロットルで邁進するだけなのであった。

子供との向き合い方

ここ最近、いや結構前から上の子との向き合い方がわからなくて戸惑ってる。

上の子はスキンシップをあまり好まない、だけど親の行く先行く先にはベッタリくっついて行動するタイプ。家事してる最中なんかずーーーっと話しかけてきて「もう勘弁して下さい…」ってなるぐらい話してる。

そんな感じの上の子だけど、ふとした瞬間に泣く。本当に前触れもなくいきなり泣いて、泣いた理由を聞いても答えてはくれない。確かに昔から可愛くて笑っただけでも「笑われた」と感じて号泣してた。誰よりも繊細で控えめ、周りの空気に敏感な性格。

私はどうやって対応したらいいんだろうって悩んでる。この子には感情的に怒ったりしちゃダメなんだろうなぁ…心の傷深くなっちゃうんだろうなぁ…とか色々考えてるけど日常生活送ってるとどうしても怒らなきゃいけない場面も出てきて、どうにもこうにも子育てってもんは難しい。

上の子と私の相性が悪いのか?とか考えたりもするけど、そんなの子供が成人してから考えればいいことだし、今この瞬間この子とどうやって向き合えばいいのか正解が全くわからない。

どうやったら笑って過ごせる?どうやったら泣かずに済む?なんて旦那にも相談するけど「この子の個性だからそのままでいいでしょ」なんて言われる。突き放したような言い方に苛ついたりもするけど、本当にこの通りなんじゃないかなとも思う。人の性格なんてそもそも一筋縄では変わらないし、親の都合が良いように無理矢理捻じ曲げるものでもないとわかってはいる、頭ではわかっているんだよ。

子育てしてるうちはずっとこうやって悩み続けるのかな。自分のことじゃない事で悩むのって結構体力的にも精神的にもクるものがあるよね。子供達も新学期に向けて環境が変化し、気持ちも不安定な時期なのかな。私は親としてどうやって子供達に寄り添っていけるかな。私に出来るのは温かいご飯用意して、たくさん絵本を読んであげて、フカフカの布団で寝てもらって、少しでも気持ちを満たして翌日に送り出してあげることかな。

夫婦円満でいるコツは

旦那とはしょっちゅう喧嘩する。子供が産まれる以前は喧嘩なんて数えるほどしかしなかったのに、定期的に喧嘩喧嘩バチバチバトルを繰り広げるようになってしまった。2人だけだと独自の世界観があるから揉めることなんてほぼない。だけどそこに子供が加わるとあーでもないこーでもない嫌味嫌味の嵐でお互いを気遣う余裕が一切なくなってしまう。

なんでこうなってしまったんだとも思うけど人間の厚みを得るためにはこの経験も大事なのかなって思うけど、揉めないことには越したことない。あーあ、揉めずに仲良くするほうほうないかなぁ。

人間にはお金と余裕が1番大事なことなんだろうなぁ。みんなでニコニコしていられる人生になるよう頑張ろうな自分。

心の余裕が欲しいな

年子の子供達はそれはもう毎日やりたい放題してくれる。オヤツ食べるだけで揉め、遊ぶだけで喧嘩し、トイレに行くだけで殴り合いが始まる。こんな毎秒毎秒喧嘩するなんて才能なんじゃない?

私が小さい頃兄弟と喧嘩した覚えなんてないけど?って母親に相談したら「お兄ちゃんアンタに優しいからたくさん我慢して譲ってくれたのよ」だって。なるほど、お兄ちゃんの周りに最新機器が揃っていたのはそういうことかガッテン承知の助。

我が家も上の子が諦め半分で譲ることが多いけど、私は末っ子の立場しか経験したことないから末っ子の気持ちがわかる分、上の子の気持ちを尊重するようにしてる。上の子の気持ちがわからないからこそ優先しなくちゃって謎の考えがある。それがいいのか悪いのか答えがわからないのが育児の難しいところで嫌になっちゃう。

今子育てで悩んでることが来年は違う悩みになってるってどこかで見かけたけど、悩みを解決する暇もなく月日が経って大人がバタバタしてる間に子供達が何かを感じ取って自分の力で成長してくれてるのかね。

健康で人生楽しく生きてほしいと母ちゃんは願ってるよ。